2009年11月26日

大虫神社について

かつては字小森谷の小虫神社とともに大江山中腹の池ケ成(いけがなる)という地に鎮座し、「虫宮(むしのみや)」と呼ばれていた。往昔大己貴命が沼河姫と当地に居住している時、槌鬼(つちおに)という悪鬼が現れ、その毒気に当てられた姫が病気に罹り大己貴命が嘆いていると、小虫神社の祭神である少名彦命が八色の息を吐きかけて槌鬼を追い出して姫は回復したが、今度はその息のために人や動植物が虫病に苦しむようになったため、少名彦命は「小虫」と名乗ってそれぞれの体内から害源である悪虫を除くことを、大己貴命は「大虫」を名乗って体外から病を治すことを誓い合い、鏡を2面作ってそれぞれ分け持ったことから、「大虫」「小虫」の神として崇められるようになったという。また、用明天皇の第3皇子麻呂子親王(聖徳太子の異母弟)が大江山にいた土蜘蛛という鬼賊を征伐するに際して、自ら刻んだ神像を納めて立願したという伝説があり、他に億計王(おけのみこ。後の仁賢天皇)と弘計王(をけのみこ。後の顕宗天皇)が即位前に潜伏したとも伝えられている。

国史上では『文徳天皇実録』に従四位下に叙せられた記事があり、『延喜式神名帳』では小虫神社とともに名神大社に列し、現存する『丹後国神名帳』には「正一位大虫明神」と記されている。正応元年(1288年)には14町7反236歩(凡そ53,000坪、約18ha)の神田を有していたようで、現在も温江地区に「御供田」や「燈明田」「油田」などの小字名が残されている。

その後室町時代初期に池ケ成から現在地へ遷座したというが、遷座の事情や経緯は不明である。因みに現社地が属す温江は、『和名抄』に見える与謝郡謁叡(あちえ)郷の遺称地とされ、北接する明石(あけし)にかけての一帯に蛭子山古墳(全長145m)に代表される大古墳や弥生から古墳時代前期に亘る住居跡が集中することから、古代丹後地方において最も開発の進んだ地帯であったと思われ、また、丹波国から丹後の国府(現宮津市国分に置かれていた)へ至る官道(令制における山陰道)が通い、字虫本からは大江山連峰を越えて由良川筋へ連絡する枝道が分かるなど、古代交通上の要衝でもあった。なお文化7年(1810年)年刊の『丹後旧(きゅう)事記』巻之九には、現社地「虫本」の字名は天武天皇の白鳳14年に巡察使として派遣された石川虫名が自分の名前に因んで名付けたとの説を掲げている。

朝廷や貴族、武士に至るまで崇敬を集め、近世までは阿知江郷16ヶ村の鎮守と崇められ、かつては後野(うしろの)の字地蔵堂に一の鳥居があったといい、明治までその踏石が存在したが、それも明治20年(1887年)頃に取り除かれた。明治6年(1873年)2月に豊岡県の村社に指定され、同10年4月に社殿再建中の失火により社殿や上述の麻呂子親王奉納と伝える神像、境内社に至るまで全焼したため、同14年4月に再建するとともに8月には村社阿知江神社(祭神少童命)と無格社床浦神社(祭神大田命)を合祀(ちなみに神像は江戸時代の模刻を祀るようになった)、同41年(1908年)に神饌幣帛料供進社の指定を受け、大正7年(1918年)10月24日に府社に昇格した。戦後は神社本庁に参加している。


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

京都府与謝郡与謝野町温江にある神社です。

古墳や遺跡が密集する有名な神社です。

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